多様性と残業規制は相反するのか
最近は外資系企業のみならず日系企業でも多様性を重視することを表明している会社が増えてきました。
多様性、英語でいうと"Diversity"ですが、もともとの定義は「いろいろな種類や傾向があること」と、とてもシンプルです。
つまり、こうあるべき!みたいな1つの答えを押し付けるのでなく、一人一人の考えを尊重し、許容する。そういうことだと思っています。
もちろん、明らかなルール違反(セクハラやパワハラなど)とか常識に外れた言動(経費の不正請求や無断欠勤など)はダメですが。
この「一人一人の考えを尊重します!」という多様性を認める発言をすると次のことを言う人が出てきます。
「一人一人の考えを尊重すると言っているが、残業してバリバリ仕事して成長したい!という考えは尊重されないのか。残業規制は多様性を認めていないのでは。」
と。
言いたいことは分かるのですが、個人的には
多様性と残業規制は相反しない、というか全く別のものだと思っています。
残業したい、という人はなぜ残業したいのか?
その言葉の裏には仕事において成長したいから、という思いがあります。
この思いはある前提のもと成り立っています。
それは
残業=成長
です。
果たしてこの前提式は成り立つのでしょうか。
そもそもなぜ残業=成長という考えがあるのかというと、先人たち(今の30後半からそれより上の人たち)の存在が背景にあると僕は考えています。
月に残業150時間以上のようなハードワークをこなしてきた先人たちは言います。
あのつらい時期を過ごしたからこそ今がある、と。
が、本当にそうなのでしょうか。
残業をこなさないとその成長は成し遂げられなかったのでしょうか。
僕は必ずしもそうとは言い切れないと考えています。
人はみな自分の行動を正当化したいという欲望があります。自分の過去の行動・言動が間違ってたとは思いたくないから、成長に結びつけて美化する、という節は少なからずあると思っています。
前にブラック企業の社員の社員満足度が意外と高いというニュース記事を見たことがあるのですが、それに近い気がします。
というわけで、まとめると
- 多様性と残業規制は相反しない。
- 成長を残業に求めてはいけない
というわけで結局、自分の道を切り開くには自分の努力次第ということですね。
I need to keep on making an effort anyway!